時間を作れそうな岡本さんを誘って、松田はキリマンジャロに行くことに決めた。人生の中でこんなに疲れることってあるのだろうか、全てを終えた時にそう感じる経験となった。
キリマンジャロ。標高 5,895m。アフリカ大陸の最高峰であり、山脈に属さない独立峰としては世界一の高さだという。山登りのツアー料金だけでだいたい20万円くらい。航空券と宿泊を合わせて50万くらいで行ける。
2013年9月7日
松田はインドから、岡本さんは成田から、イスタンブルで合流。キリマンジャロまでのターキッシュエアラインで直行便が出ている。タンザニアに行くのは初めてだったので、緊張した。
松田は、飛行機の中で岡本さんと僕は明日からの壮絶な山登りを想像して興奮していた。興奮覚めやらず、飛行機の中でうとうとしながら
「素晴らしいんだ人生は」
というオリジナルソングを頭の中でループしていた。なんだこの歌は。
松田はよく「人生は面白い」ということを発言する。このセリフは本心ではあったが、なんとなくつまらない毎日を紛らわそうとして言っているようにも聞こえた。
松田と岡本さんは、大学時代の友達の友達で、今は独身友達の腐れ縁の友達であるとお互いに言い合っている。この歳で独身で余っている気の知れた男友達はまれなので、気ままな世界遺産旅には、ちょいちょい岡本さんが登場する。
岡本さんは四国の出身で、おかん的な存在だ。
「マラリアの対策はすんだ?」
「高山病の薬持ってきたから飲み」
「虫除けはぬった?」
「マラロンをのんだら、アルコールはだめやで!」
マラロンと言うのは、マラリア対策の薬だ。松田はお酒が大好物なので、そのことを特に心配しているのだろう。岡本さんはお酒をあまり飲まない。コーラが大好物だ。
しかし、心配性の岡本さんは肝心の蚊取り線香を日本に忘れてきたのだという。マラリア対策には必須のアイテムなのに。
いつのころからか、キリマンジャロに登ることは、松田の夢になっていた。
理由は2つあった。
(1)キリマンジャロの壮大な景色を前にして絵を描きたかった。
(2)「どんなことでもできる」という感覚を味わいたかった。
ヴァージン・グループ創業者のリチャード・ブランソンが、キリマンジャロに登りきった時にそう感じたという。
岡本さんはどういう気持ちでキリマンジャロに登ったのだろう。
午前3時ころにキリマンジャロ空港に到着した。あまりにも早朝の到着だったので、予定のモシタウンのホテルではなく、空港の近くのホテルに宿泊することになった。
岡本さんは蚊取り線香を忘れたが、線香の受け皿は持ってきていた。それを灰皿にしてタバコを吸った。
「タバコの煙が蚊取り線香の変わりになるやろ」
忘れただけやのにポジティブやな。松田はそう思った。
このホテルの周囲には存在していないであろうマラリアを持った蚊に怯えながら、蚊帳をしっかりとセットして3時間ほどの仮眠をとることにした。
●2013年9月8日
キリマンジャロ1日目朝、これからしばらくお風呂に入れないので、入念にシャワーを浴びる。
朝食をゆっくりと取り、岡本さんは蚊を過剰に気にしながら、長袖でうろついていた。しかし周りの人々は普通に半袖で行動していた。
岡本さんおすすめの腕時計型の電池式VAPEを装備して蚊対策はばっちりだった。だけど結局最後まで蚊らしい蚊をみないで旅は終わるのだが。マラリア対策をしっかりするにこしたことはない。
「アサンテ」はサンキュー。どこの国にいっても、この「こんにちは」と「ありがとう」の2種類さえ覚えておけばあまり困ることはない。寝ぼけながら朝食をゆっくりと取っていたので、30分遅れでロビーに集合。迎えに来てくれたのは日本語がぺらぺらの運転手さん。「ジャンボ!」にたいして、「オハヨウゴザイマス」で返された。
初めてのタンザニアではテレビで見たような光景がそのまま広がっていた。大きな荷物を頭に乗せてあるく人。三輪バイクで音楽をガンガンにかけてノリノリの人。とにかく荷物をたくさん積んだ車。アフリカらしい風景が流れていく。1時間ほどで、当初の滞在予定のモシタウンへ。そこからさらに1時間ほどで、キリマンジャロの麓に到着。運転手は10ドルのチップを要求してきたが、松田はさりげなく5ドルを渡した。
車を降りたとたん、タンザニアの商人数人がものを売りにきた。岡本さんと松田は腕に「KILIMANJARO」と書かれた腕輪をいつの間にか付けられていて、5ドル請求された。
松田は仕切りに「いらん!!!」と叫んだ。
岡本さんが10ドルで二人分買ってくれた。
さらに商人は2本で20ドルの、使い込まれたストックのレンタル要求する。
「いらねー…」と思いながらも、岡本さんが「持って行ったほうがいいって」とオカン的な立ち位置で購入してくれた。買っても3ドルくらいに見える古びたストックだ。岡本さんは寝袋も持っていなかったので、一式レンタルをした。
今回ガイドしてくれる人は「アストン」というおじさんだ。小柄でよく笑う山男だった。
今日の分のダイアモックス(高山病薬)を飲んで登山に備えることにした。ダイアモックスもマラロンも岡本さんが東京で買って来てくれた。ダイアモックスは一錠200円程度、マラロン(マラリア予防薬)は一錠900円くらい。すべて岡本さんが持ってきてくれた。松田はそういうところは無頓着だ。遠慮なく半分分けてもらう。
入山の前に名簿に名前を書いてチェックイン。
11:00AMに出発地点であるマラングゲートを出発した。
この日は3時間ほどで2700mくらいまで登るコースらしかった。アストンはゆっくりゆっくりと歩く。やはり登山はゆっくり歩くのがコツだという。本当にゆっくりと歩く。これが後半に効果が出てくる。
序盤はとても元気なので、アストンに色々なことを質問した。自分はどういうことをしていて、この登山にはこんな思いで参加しているということを伝えた。
岡本さんの心配の元であるマラリアとツエツエバエ件について、
「どちらもこのキリマンジャロ登山においては大丈夫」とのことだった。
山にこれらの虫はいないようだ。ほっとして元気に登山をすることができる。
ツエツエバエというのは、岡本さんがどこかのWEBサイトで見たらしく、刺されると眠くなり、そのまま死んでしまうというめちゃくちゃ怖いハエだという。アストンは一匹にさされたくらいじゃなんてことはない、と言っていた。それにしてもそんなハエがこの世に存在するなんて、まだまだ世界は広い。
英語があまりしゃべれない岡本さんは、
「この旅は英語のプラクティスになる」
といって、頑張って英語に慣れようとアストンへの質問をしきりに考えながら歩いていた。
出発地点は森が広がっている。キリマンジャロ登山では、高度が広範囲に渡るため、森、デザート、岩場など様々な地形を楽しむことができる。
ぺちゃくちゃしゃべりながら1時間30分ほど歩いたところで、うれしいランチタイムだ。
ランチは小さなバナナ、オレンジ、簡単なサンドイッチ、チョコ、パイナップルジュース、ピーナッツ等だった。お腹がすいていたのでほとんどを平らげた。
登山をサポートしてくれるのは、アストンを含めて計7人。サブガイド、コック、ウエイター、そして3人のポーター(荷物運び)だ。重たい荷物はポーターさんが運んでくれる。彼らは先回りして、山を登る。事前に山小屋に着いておいて、食事や小屋の準備をしてくれるのだ。一日目、3時間登山は容易かった。キリマンジャロはポーターさんたちが荷物を運んでくれる大名登山である。
3人はまた1時間30分ほど歩き、14時30分頃に一日目の宿泊場に辿り着いた。マンダラハットという宿泊場である。三角のかわいらしい小屋が所狭しと並んでいる。ハットにつくと、ダイニングでホットウォーター、ティー、コーヒーやミロを頂く。松田は迷わず栄養の王様ミロを選択した。何年振りかのミロの味にハッとした。
松田は「実はキリマンジャロ登頂は簡単なのでは」と思い始めていた。
「ミロ、おいしいやん」
岡本さんはコーラが飲みたくて仕方がなさそうである。
ダイニングでお茶を飲み終わってホッとしているとサブリーダーのフバルが「クレーターを見に行こう」といって、2人を連れ出した。そういえばアフリカってクレーターが多いんだっけ。同じくタンザニアのンゴロンゴロという世界遺産スポットも、ものすごく大きなクレーター地帯であることを思い出した。
僕たちはフバルと一緒にクレーターを見に少し山を登る。途中で白黒の毛色の猿と遭遇した。マンダラハットから10分ほど登ったところにそのクレータはある。直径50Mほどだろうか。MAUNDI CRATERという名前の隕石衝突後だ。僕は第六感といった類いのものは持ち合わせているようなないようなだけれど、その場所からはなにかしら宇宙のパワーを感じた。夕暮れ、人気のなさが後押しして、なんともいえない異世界のような雰囲気があった。
次第に日が落ちるとともに、気温もぐんぐん落ちて来た。岡本さんの腕時計には温度計がついていて、気温は10度だった。昼間はタンクトップで動き回っていたが、さすがに夜はゴアテックスの防水上着の出番だった。それでも少し肌寒く感じる。
晩ご飯は魚のフライと野菜、ポタージュスープだった。
「うま〜!」
クレーター見学で身体が冷えてきていたので、とてもとても美味しかった。その日の晩ご飯のほとんどを完食した。小屋の中にはベッドが4つある。その上に持って来た寝袋を敷いて眠る。岡本さんは寝袋をレンタルしたので、しきりに匂いをチェックしてはなんともいえない顔をしていた。でも分厚くて温かそうな寝袋だった。松田は日本で手に入れた Mont-bellの軽くて高性能な寝袋でこの日初めて眠る。薄手な感じだったので、少し心配だったけど、とても温かく過ごすことができた。
この日山は雲で隠れていたので、マンダラハットの様子をスケッチした。
前日の睡眠不足もあいまって、僕たちは早めに就寝した。
●2013年9月9日 登山2日目 マンダラハット〜ホロンボハット
初めての寝袋だったけど、ゆっくりと休むことができた。
7時くらいにウエイターのトムが、朝ご飯には、おかゆのような無味系のスープと卵とソーセージとパンを持って来てくれたので起床した。もりもり食べて、午前8時出発した。
マラングゲートからはずっと森だった景色が少しずつ変化していく。植物はその身長をどんどん短くしていった。前に進めば進むほどに足下くらいにまで植物が小さくなって、それと同時に遠くの景色がよく見えるようになっていく。
本日の行程は全部で5時間程度。アストンの歩調に会わせてゆっくりゆっくりと歩く。松田も岡本さんも自分なりに好きな景色を見つけては足をとめてシャッターを切る。その度にアストンは待ってくれる。
だけど昨日から雲で姿を表さないのはキリマンジャロ山だった。
少し小高い丘で、アストンは言う。
「いつもはここで見えるけど、今日は曇ってるね。明日の朝には見えるよ。」
キリマンジャロは着いた時からずっと山頂付近に雲がずっとまとわりついていて、なかなかその姿を現さない。見えそうで見えないギリギリの服を着た女性のような感じがしたので、山をキリちゃんと呼ぶことにした。
「まさかずっとみえないんじゃ…。」
少しずつ不安が募ってくる。松田はアストンに質問した。
「昨日からずっと雲で見えないけど、今日キリちゃんは見えるかな?」
「ああ、お昼には見えるさ〜。」
それから何時間か歩き景色はどんどん変わって行く。
雨は一滴も振らずとてもいい天気。でもキリちゃんは雲を来たまま微動だにしない。そうこうしているうちにランチタイム。昨日と同じランチメニュー。なんだかあまりお腹が空かなくて、サンドイッチ、マフィン、ピーナッツなどを残した。
松田はアストンに訪ねた。
「昨日からずっと雲で見えないけど、今日キリちゃんは見えるかな?」
「ああ、夕方には見えるさ〜」
午後も2時間ほど歩くと、ホロンボハット(標高3720M) に到着した。このハットより上には水道がないとのこと。これ以上気温がさがると水に触ることすら困難になるため、松田は思い切ってここで頭を洗ってみることにした。
さすが富士山級の高度。午後3時前なのに、水の温度は0度に近いように感じる。頭に水をかけて、シャンプーをざざーー、水をかけて、水をかけて、、、
「頭痛った!!!!!」
冷たすぎて頭が痛い。かき氷を一気に10人前食べたような感覚。
「こ、こんなに水って冷たくなれるんやっけ…」
4、5日間頭を洗えないとはいえ、ここで頭を洗うのは、あまりおすすめではないことが判明した。
この時間になってもキリちゃんは雲で隠れているようなので、松田は今日も山を描くのをあきらめて反対方向に広がる雲海を絵にすることにした。
ブーツ以外はいたってシンプルな服装だった。ブーツはmont-bellのアルパインクルーザーで、ハイカットで防水でがっちりしている。mont-bell 広報のスエムラさんもこの靴で世界一周プラスキリマンジャロ登頂を果たしたとのことで、このブーツは安心感のある一品だった。パンツはインドで購入した200円のぺらぺらのもの。上はタンクトップ、シャツ、寒くなったらゴア防水ジャケットを着るという具合。暑くなったら全ての上着を腰に巻いていくのだ。岡本さんは帽子は防水のゴアがいいと言ってたけど、松田の帽子は友達からもらったデニムのハットで、特に防水とかゴアではなかった。キリマンジャロはシンプルに、昼間は暑く、夜は寒い。乾燥しているので、汗だくになるという印象はなかった。
先ほどの水浴びによる頭の痛さも治まってきて、ダイニングで岡本さんとお茶を飲んでいるととなりで外国人グループと楽しそうに話す日本人男性が見えた。
「写真を撮ってー」
といわれたので、外国人グループと彼にフォーカスを合わせてシャッターを切る。
「僕はカタツムラ。学生です。」
彼は2ヶ月間のヨーロッパ、アフリカ縦断旅の途中らしい。
ノルウェーから南下して来たとのこと。
「さっきしゃべっていた中に南アフリカのやつがいて、次はそいつの所に泊めてもらえることになったよ。」
カタツムラ君はこれまでに40カ国以上を巡っている旅の上級者、強者だ。
異国の道端で見知らぬおじさんが汚い手でむしり取った果物を「食べろ」と言われれば「食べる」そんな人だった。目の前で起こる出来事は全て一旦裂けずに通るようにしているらしい。カタツムラ君をかっこいいと思った。
そんな挑戦的な彼だが、黄熱病予防のイエローカードをドイツで取得し、マラロンを服用し、A型肝炎の予防もしていて予防を怠っていないところがまたいい。しめて4万円程度。しめるところは締めるのが大人のたしなみだ。年齢の話になり、学生で若々しい彼はその風貌とは裏腹に38歳だということで、ものすごくびっくりしたが、彼の世界旅行話がおもしろすぎて、夢中で聞き入っていた。そんな時アストンが興奮気味にドアを開けた。
「みえるぞ!!」
ダイニングハットを出ると雲が晴れた空が広がり、念願のキリちゃんが顔を出していた。
3人は同時にさけんだ。
写真だととても遠くに見えるけど、松田の目にはとても大きな山が映っていた。松田はこの山を見るために、そして描くために遠く離れたこの地まではるばるやってきたのだ。もちろんすぐにペンを取り出し、雲で隠れる前にスケッチした。アストンの言ったとおり、夕方キリマンジャロを拝むことができた。
カタツムラ君はその翌日にスケジュールを前倒しして、ここからウフルピーク(山頂)を目指すらしく、次の日は朝4時起きなのだそうだ。
さすがに明日に差し支えるだろうということで、募る話を強引にストップしてダイニングを出た。すると、、、
「おおー!!!!!」
夜空には見たことのない星空が広がっていた。
●2013年9月10日 ホロンボハット〜キボハット
この日、空は晴れ渡っていた。
キリマンジャロの弟分のような山がある。アストン曰く、MAWENZI という名前だそうで、切り立った崖のような荒々しい形状をした山だ。キリマンジャロよりは標高が低いけど、ロッククライミング的な技術が必要なようで、登るのは非常に困難なのだそう。
今日は朝からキリマンジャロ山頂がよく見える。
「一番キリちゃんがきれいに見えるところってどこなん?」
「もう少しいったところがおれは一番好きさ。」
とアストンは教えてくれた。
その場所には座りやすい大きな岩がごろごろしていて、背の低いかわいらしい感じの植物が並ぶ絶好の見晴らしの場所だった。松田は即座にその場所をスケッチする。
岡本さんはそんな僕たちの様子を映像に記録したり、写真を撮ったりしながら、待ってくれた。でもたまに
「ちょっとじゃまやからそこどいて!」
的なことを言ってスケッチさせてくれないのが岡本さん的ユーモアのようだ。
アストンにただ待っていてもらうのも恐縮なので、
「一緒に描こうやぁ!」
といって誘った。
アストンは最初はとてもいやがっていたのだが、予備のスケッチブックとペンを渡すと、まんざらでもない様子で、一緒に描き始めた。しかしアストンの絵はまず30秒ほどで仕上がった。
山の輪郭をささーっと描いただけだったので、もう少し近景にあるものなども描いてみるようにしてもらった。僕のスケッチの手法はどんな人でもなんか味が出る用に描けるようになっている。近景や手前にいる自分たち人間も描いてもらって、最後に日付、サインをしてもらった。
アストンのスケッチ
松田はこの道の行程の中で、高度の違う2か所のキリマンジャロのスケッチを描いた。岩と砂しかない大地。地球ではない大地に立っているような感覚だった。
本日のランチも中身は同じ。食が進まなくなってきた。高度のせいか、メニューのせいか。この日のランチはチョコレートとパイナップルジュースだけを接種した。ランチの休憩場所で日本人カップルと出会った。二人は名古屋と東京の遠距離恋愛中なのだそう。そんな関係の二人がキリマンジャロに一緒に登っているなんて、なんてロマンチックなんだろう。
岡本さんはアストンに叫んだ。
「恋っていいね!」
最終キャンプ地点のキボハットに到着する頃には、岡本さんも松田もかなり疲れて来ていた。慣れない環境、4,000mを超える高度の中では、知らず知らずのうちに身体に異常が出始めている。松田は高山症状が出やすいため、この時点で少し頭痛の症状が現れたりしていた。朝晩半錠ずつのダイアモックスを服用していたので、それほどでもなかったのかもしれない。
少しよろめきながら、最終宿泊場、キボハットに到着した。
疲れが相まって、夕方にスパゲッティを食べた後、倒れるように眠り込んだ。
キボハット(4,703m)から山頂(5,895m)まで、一晩で1000m以上の高度を登り切る。そして同じ高度を降る。キリマンジャロ登山はこの工程が最も辛い。
●2013年9月10日夜23時
空は満点の星だったが、鼓動が乱れていてイマイチその美しさを満喫する気分にはなれなかった。数時間の仮眠のおかげで体調はよさそうだ。
4,000mを超えたあたりから鼓動が早くなり息があらくなってきた。このキボハットは、高度4703m地点。トイレに行くだけでも少し息があがるうえ、寒い。なるべく外に出たくない。
この登山で松田が最も気にしていたことは、服装。
マイナス10度の山の上というものがどれくらいのものなのか。カナダでマイナス20度を体験した時の記憶を元に
このキリマンジャロは1か月で巡る世界一周の行程の中にねじ込んだ。その中で巡る世界遺産の中でこのキリマンジャロの頂上付近のみ寒い。キリマンジャロの他には、インド、トルコ、エチオピア、スペイン、アメリカを巡る。その他の地域は基本的に夏なのだ。荷物は最低限で巡りたいと考えていただので、夏服の重ね着で挑むことに決めていた。
スキーウェアやフリース等のゴアゴアしてかさ張る装備は一切持って来なかった。それは今回は一ヶ月間の世界一周の途中で、気温の高いその他の国で不必要な荷物の増加を避けたかったからである。こんな時に頼りになる装備を揃えているのがMont-bellだった。松田はゴアテックスの防水ジャケットとズボン、そして世界最軽量の薄手のダウンジャケットに持って来た全ての夏服を重ね着することで、寒さを凌ぐ予定だった。
【山頂アタックの服装】
●頭部…
薄手のニットキャップ、タオル&スカーフ(マフラーの変わり)、ヘッドランプ
●上半身(持っていた全ての服を着た)…
ヒートテック長袖、タンクトップ×3、半袖シャツ、長袖シャツ×2、ウルトラライトダウン(mont-bell)、ゴア防水ジャケット(mont-bell, フード付き)
●手…
薄手手袋(mont-bell)、雪山用手袋(mont-bell)
●下半身(持っていた全ての服)…
ヒートテック、夏用ぺらぺらズボン×2、ゴア防水パンツ(mont-bell)、
アルパインクルーザー((mont-bell), 防水)
寝袋から出ると凍えそうな寒さだったので、すぐに上記の装備に着替えた。テンションのせいもあってか、寒さはほとんど感じることはなかった。
でも心臓の鼓動が早く、かなり息苦しい。
じわじわと高山病が襲ってくる。
午前0時、てっぺん目指して出発した。あたりは当然真っ暗だ。ここからはひたすらゆっくり暗闇の中を歩き続けるだけ。
もちろんわざわざこの時間に出発するのは頂上からご来光を見るためである。昼間に出発していて、山頂や絶景が見えているならば、あるいはもう少し鼓動も安定したかもしれない。鼓動のペースが以上に早い。
ここに来て、岡本さんの疲れがピークに達していた。
松田と岡本さんは歩くペースが違ったので、アストンの提案で、グループを分けることになった。松田はサブガイドと供に2人で頂上を目指す。
「山頂で会おう!!」
松田と岡本さんはこの地点で別々に頂上を目指すことになった。5,000m付近までは余裕があった。それでも止まって休憩すると体温が下がって危険なので、ひたすら歩き続けた。
5,000mを超える看板が見えた。その付近から上にいけばいくほど、本当に呼吸をするのが困難になってきた。頭痛は少しずつ激しくなり、吐き気もする。
どこか頭上からなにか見えないもので押さえつけられているかのような感覚だった。アストンと違ってサブガイドのフバルは身長が高く、足が長くてペースが早い。ゆっくりの歩調が分からず、自分でペースを作って行く。
このあたりで感じた高山病を例えると、忘年会でお酒をものすごくたくさん飲んで帰宅する時の駅から家までのあのふらつく感じに似ている。目がうつろになってきて、ふらついてこけそうになることもあった。
体温的には問題なかったので、動いているためかだんだん顔が暑くなって来た。
「あつー!!」
といってフードを脱いだ。本当に息が荒くなってきて、もう帰りたいと思い始めていた。フバルはその様子を見て
「君は100%辿り着けるよ」
といった。息苦しくて涙目になっていたが、
松田はその言葉を信じることにした。
息を切らしながら闇の中を進んで行く。
心が今にも折れそうだった。
●2013年9月11日
3歩あるくだけで限界がくる。
その度に腕を足について大きく3回深呼吸する。まるで前に、上に進まない。砂がずるずると滑るので、足を進めても下がっているような感覚になる。これが昼間の登山だったら周りもはっきりしているし気温も高いので、ここまで苦しくないのかもしれない。
暗い闇の中をひたすら苦しみながら足を進めていく。一寸先がまったく見えない。これは生きて行く上での様々なことと重なっているように感じた。見えなくても進んでいくしかないし、進んでいけば必ずなにかにぶつかる。それはゴールかもしれないし、課題かもしれない。引き返してしまったら、見えるはずの未来がみえないんだ。
松田は自分の意志でこんなところで山登りをしている。意味のないことかもしれないけれど、あるいは意味があるはず。理由よりも心がここに来たがっていたから、どんなに苦しくても足を止めることはしなかった。一歩一歩。ずり落ちながらも登っていく。三歩ごとに立ち止まって深呼吸する回数が10回以上に増えている。
まったく前に進んでいる気がしない。身体が重くて重くてしょうがない。高山病によるめまいが激しい。おおげさに聞こえるかもしれないけれど、ここに書き足りないくらいしんどかった。砂場を超えるとごつごつした岩場が出て来る。
這いつくばるようにしながら、登る。登る。
暗闇の中で脳裏をよぎる想い。過去の記憶。未来への葛藤。
「なんでこんなことやってるんやろう」
「なんで人と違う生き方なんやろう」
「なんであの時あの道を選ばなかったんやろう」
「なんでこんなにしんどいんやろう」
「なにしてるんやっけ…」
様々な思いが寄せては返して行く。
「ぜーぜーぜーぜーぜーぜー」
息苦しい。寒さよりも高山病が深刻だった。
「バクバクバク」
「そういえば心臓って生涯で脈打つ回数決まってるよね。ここでこんなにバクバクしてたら寿命縮まるやん」的なことを考え続ける。
朦朧と考え続け、何時間経っただろうか。
そしてやがて、突然その時は突然訪れる。
暗闇に浮かび上がる緑色の看板。
「CONGRATULATIONS」
気付いた時には周りは開け、薄暗い景色の中に
「ギルマンズポイント」のサインが見えた。
5,685mまで登ってきたのだ。ここは頂上ではないけれど、頂上クレーターの入り口地点だ。頂上まで高度200m地点。ここまででも、辿り着けたことに対するなにげないひとことが胸に響く。
「CONGRATULATIONS(おめでとう)」
泣かないはずだったのに、この看板の文字を見て涙がどっと溢れた。
●2013年9月11日 早朝
あたりがぼんやり明るくなってきて、次第に視界が開けていく。
山頂のクレーターの淵をふらふらめそめそ泣きながら歩いていた。なんで泣いているかは自分でもあまりわからない。なぜかぽろぽろと涙が出て来るのだ。
感動、希望、達成、期待、あるいは複雑な後悔だったかもしれない。
なだらかな頂上のクレーターをちょっとずつ歩く。もうふらふらで立っているのもやっとな感じだった。松田にとっては間違いなく人生で一番しんどい体験だった。
午前6時30分。
いよいよ太陽が昇ってきた。
キリマンジャロ山頂のクレーターの淵で出会うご来光。
世界中のいろんな場所で太陽の様々な表情を見て来た。どの場所から見る太陽も美しかったけど、キリマンジャロ山頂付近で見る太陽は特別キラキラしているようで、そして今にも手が届きそうな気がした。
最高地点のウフルピークまでもう少し。
持ってきた水も凍ってしまった。喉もカラカラだ。
3歩あるいて3呼吸。呼吸は依然として苦しい。けれど、明るくなったことでどんどん元気が出てくる。ゆっくりとゆっくりと最後の高度200mを昇る。
そして、ウフルピークの緑のサインが見えた。
5,895mに到達したのだ。
フバルが「おめでとう」と言ってハグをしてくれた。強風に負けて、看板の前で立つことができなかったw
松田はヴァージン・グループ創業者のリチャード・ブランソンの言葉を思い出した。
「どんなことでもできるやん笑泣!」
そしてもう一つの目的。山頂でスケッチをするのが松田の夢だった。けれど山頂には何もなくて、代わりに美しい太陽があった。松田はその太陽を描くことに決めた。
疲労と寒さのため5分間のスケッチが限界だった。