Pre-Hispanic City and National Park of Palenque
(Mexico)
0142-1_パレンケの古代都市と国立公園_メキシコ合衆国
Photo : Koichi Matsuda© iPhone 6
0142-1-Real (2014)
0142-1 IMAFGE (2011)
18世紀、宮殿やパカル王の墓所が発掘されたマヤ文明都市
Pre-Hispanic City and National Park of Palenque_ Mexico_ MX_ Central America_ Cultural_ State of Chiapas, Municipality of Palenque_ (i)(ii)(iii)(iv)_ N17 28 59.988 W92 2 60_ 1987_ Ref:411
18世紀の半ば頃にスペイン人の手により発見に至り[3]、その本格的な発掘調査が始まったのが1948年[2]。その調査の最終局面にあたる1952年6月15日、メキシコの考古学者アルベルト・ルスが『碑文の神殿』の地下室に辿り着き、室内の壁面にはめ込まれていた巨大な石板を取り外したところ、鍾乳洞の垂れ下がる広い洞窟のような部屋がその向こう側に確認された。そこには殉死者と目される数体の遺体に加え、肖像画やマヤ文字、また生命樹の図柄の浮彫が施された石の蓋、そしてその下に石棺が埋もれており、数多の装飾品を脇にした遺体が内部に発見された。翡翠の仮面をまとったこの遺体は、7世紀に在位したパカル王(偉大な太陽楯、8アハウの偉大なパカル、パカル2世、パカル大王、在位615年~683年)[4]として知られる王のそれであった。 この発見は、中央アメリカのピラミッドがエジプトのそれとは違うという定説、すなわち王の墓ではなく神殿の土台に過ぎないものとの定説を覆し、当時の考古学界に大きな旋風を巻き起こすこととなった。[5]